それは、
「な」くても、「な」んとか、「な」るもんだ
お客様が帰国して、新居の整理収納の仕事をしていることと、この大震災を通して、
「なくても、なんとか、なるもんだ」と強く考えるようになりました。
3月末、帰国直後に必要なものだけを持ってお引っ越し、
その他のモノは船便だから、届くのは二ヶ月先。
その間、間に合わせでモノは買わないでねとお願いしながら、
我が家にあるものを貸し出ししたり、不自由なのを我慢してもらったり
なんとか過ごされたお客様。
実際に荷物が届いたのは5月半ばと6月始め。
届いた荷物を前にして
「この荷物が無くても、なんとか生活できたのね。」
とお客様が感想をポツリ。
被災された方々、津波が迫る中、着の身着のまま逃げたのでしょう。
大切なモノを持ち出す時間もなかったでしょう。
そんな方々へ「無くてもなんとかなる。」とは言いにくいけれど、
無いところから立ち上がっていく力強さに頭が下がる思いです。
大震災の後、店頭から食料品や水、雑貨がどんどん姿を消し、
それを見て、また慌てて買い走り、さらにモノが無くなっていくという現象が見られました。
計画停電、放射能・・・と心配なことが重なります。
日々必要なモノを買う、それ以上の買い物の量。
自分の身は自分で守ると言われているから、
配給をあてにせず準備はしておかなければなりません。
そんなときに、「なくてもなんとかなる」と強く思いました。
戦争中、草の根食べても・・・という言葉もあったけど、
そこまでしなくても食べられるモノがあるかもしれない。
知恵を働かせれば、なにか方法が見つかるかもしれません。
世の中○用、△用・・・と分かれ過ぎているけれど、
本当はもっとシンプルで応用がきくものかもしれません。
それは決して多機能ということではなく、
シンプルだけど応用が利くという意味です。
たとえば「お箸」のようなモノ
食べるためだけでなく、かき混ぜたり、刺したり、切り分けたり・・・
いろいろなことができる道具です。
たとえば「ハンカチ」のようなモノ
手を拭くだけでなく、頭に被って日よけにしたり、畳んでパタパタ団扇にしたり、
細く巻いて包帯にしたり、遊び道具にだって変身します。
暮らしを整え、楽しく、快適に暮らしていくためには
いろいろなモノが必要になるけれど
一方で
「なくても、なんとか、なるもんだ」の気持ちを忘れずにいたいと思います。